コーチング, 思考術, 覚悟

「ルールを守る」も「愛する人を守る」も同じ

 

「守る」にはいろんな意味がある。

 

「愛する人を守る」

「財産を守る」

「ルールを守る」

 

などなど。

 

でも、

「愛する人を守る」も、「ルールを守る」も、

結局は同じことなんだと思う。

 

「愛する人を守る」と言うことは、「ルールを守る」ことであり、

「ルールを守ら」なければ、「愛する人を守れ」ないから。

 

 

「守る」という当たり前の特別でないことができてない

 

「守る」

ことは、何も特別なことじゃない。

特別な場面でしか実行できないことではなくて、

日々、

日常の何気ない普通の場所、普通の場面、普通のタイミングで、

「守る」

と、いうことを当たり前にできている人間なのか?

自分は、それができているか?

と、いうことなのだと思う。

 

 

 

それができている人間が、

本当にその真価が問われる時に、

行動できるのだと思うし、

相手に、

「守ってくれている」

と、いう意思がしっかり伝わるのだと思う。

 

 

ただ、その特別ではないことができている人がどれだけいるか?

そこが大いに疑問だ。

それこそ、わたしはできているのだろうか?

皆さんはできていますか?

 

 

気づける自分ですか?

 

例えば、

交差点で立ち往生しているお年寄りがいたら、

さっと手を差し伸べられるだろうか?

 

道に迷っている外国人がいたら、

自分から話しかけられるだろうか?

 

車の運転にしてもそうだ。

きちんとルールを守って運転できているだろうか?

 

 

 

なぜ、そんなことが家族を守ることに繋がるの?

そう思われる方もいるだろう。

 

困っている人がいたらさっと手を差し伸べられる人と、

そうではない人の決定的な違いは何だろう?

 

困っている人がそこにいるということに気づけてるかどうか?

 

それを家族に置き換えてみてほしい。

 

家族の誰かが、今、直面している問題に気づけていますか?

 

特に、お父さん。

 

「子供を守る!」

「お父さんはお前を必ず守るからな!」

そう宣言しただけで、日々の子供達の変化に気づけていますか?

 

相手のための行動ができていますか?

 

そして、

 

気づいた場合、そこに手を差し伸べられる人かどうか?

 

「何があった?お前、様子が変だぞ。言ってみろ」

そう言うだけでは、なんの解決にもならないことに気づいていますか?

 

気づいた場合、その人には、どのように手を差し伸べたらいいのか?

どのように相手に向かうのが一番なのか?

 

 

これを当たり前にできてないと、

人は他人を守ることはできない。

 

 

己を律する

 

 

それができているという前提条件で、

ここが一番大事なのだが、

自分は、自分の身をしっかり律することができる人間かどうか?

 

なぜなら、

自分を律することができない人間が、

大事な人を守ることなど到底できるはずがないのだから。

 

 

なぜ、ルールを守って運転できているかどうかが大事なのか、お分かりだろうか?

例えば、

あなたは常日頃、仕事に車で向かっているとしよう。

わたしも早朝、編集部から取材車に乗って現場に急行することが何度もある。

7時を過ぎれば、都内の道は渋滞してくるので、急ぎたくても車の流れに任せるしかないが、それ以前の時間であれば、まだ比較的空いている。

そんな時間で、制限速度を守って走っている車はほぼない。

早朝はトラックや軽ワゴン、バイクがものすごく多いのだが、全部とは言わないが、多く車両がものすごいスピードで走っている。わたしの運転する車の横をすり抜けていくバイク。目の前の車線で入り込んでくる軽ワゴン車。煽ってくるワゴン車もたくさんいる。

制限速度を守って走っているこちらの車をすれ違いざまに睨んでくる運転手もいる。

 

でも、普通に制限速度を守って走り続けても、彼らの車とはそれほど距離が離れないのだ。

日本の信号システムは本当によくできていて、どんなに飛ばしても、必ず先の信号に引っかかるようにできている。

だから、飛ばす意味は全くない。特に朝の時間は。

にも、関わらず、ほとんどの人は車を飛ばす。

急いでいる。

その理由を、

「俺は家族のために朝早くから一生懸命働いているんだ。のんびり仕事してられっかよー!」

と、言うのだろうか?

そう言う人間が、本当に家族を守れるとでも思っているのだろうか?

職場に向かういつもの道を毎日毎日、制限速度以上の高速で走ることのリスクがどれほどのことなのか、わかっているのだろうか?

もし、途中で事故を起こしたら?人をはねてしまったら?それこそ、自分が命を落としてしまったら?

どうやって家族を守る?

 

4年前、わたしと奥さんの乗る車が路肩に停車中、大型バイクに追突された。

バレエ教室の娘を迎えに行ってのことだった。

大型バイクは、突然、車線変更をしようとした営業車を避けようとしてわたしの車に追突したのだ。

制限時速60キロの道で80キロ以上出ていて、ノーブレーキで突っ込んだのだ。

一番悪いのは、突然車線変更した営業車で、その運転手は制限速度で走っていたが、大好きな和菓子屋さんで家族へのお土産を買うために車を止める駐車場を探していた。そして、見つけたのでウィンカーも出さずに左に寄せた。右後方から猛スピードで近づいてくるバイクに気づいてなかった。

バイクは避けようとしたが避けきれず、営業車の左側に接触し、路肩に止めてあるわたしの車に追突した。

わたしの車の前方にはバレエ教室から出てきたたくさんの子供達がいたので、わたしの車がなかったら大惨事になっていた。

バイクの運転手は、職場の建築現場から自宅へ戻る最中だった。

脳挫傷、頭がい骨骨折、頚椎骨折、眼下底骨折、脊椎損傷、肋骨骨折、大腿骨骨折、肺と腎臓の損傷。

一命はとりとめたが、社会復帰は不可能とのことだった。

 

営業車の運転手もバイクの運転手も、家族の元に帰る途中だった。

そして、そのどちらも交通ルールを守っていなかった。

そして、事故までの経緯はいつものルートで、いつもの行動だった。

 

バイクの運転手は、一生、家族を守ることはできなくなった。

 

 

 

守りたい人を守るためには、

己を守る。

 

そのためには、

 

己を律する

 

と、言うことだ。

 

では、己を律するとは?

 

もっと、しっかり考えていきたいと思う。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。