第六感を素直に受け入れると何が起こるか?1

 

みなさん、この写真を見て、何を感じますか?

 

何が見えますか?

この写真を初めて見たとき、

わたしには、左上の山の頂上から金色の光が上空に向けて放射状に広がっているように見えました。

この写真は、知り合ったカメラマンと話をしていて、

「今までどういう写真を撮っていたの?」

と、いう話になり、

「チベットが大好きでチベットの写真をたくさん撮っていました」

と、いうことで、お気に入りの写真を納めたアルバムを見せてもらったのです。

その中の1枚がこの写真です。

 

パラパラとアルバムをめくっていて、

この写真を目にした時、上空の空が動いているように見えたのです。

「ん?」

と、手を止め、ジーッと写真を見つめていても、やっぱり青空の一部だけが動いて見える。

山の頂上付近から金色の光が放出されているように見えるのです。

「どうしました?」

「いやー、この写真。すごいな〜っと思って」

「どこがですか?」

「山の頂上辺りから光が出ているように見えるんだけど」

「すごいですね〜。この山、チベット仏教の鳥葬の山なんです」

「死者を鳥に食べさせるお葬式のこと?」

「そうです。あの山から魂が天に登っていくと言われているんです。だから、見えているんですね」

「俺はそういうの見えないはずなんだよね」

「見えてるじゃないですか?」

「そうなのかな〜」

わたしはこの写真をカメラマンから譲り受け、額装して家に持って帰りました。

そして、

額から取り出したその写真を見た、当時2歳だった娘は、写真を見るなりこう言いました。

「ああ、天使さんの写真!」

そう言って、大喜びしながら、

「ここでしょ?ここでしょ?ここにも。いっぱい飛んでる」

そう言って青空のところを指で刺すのです。

「天使さんがいっぱい飛んでるの?」

「うん。すごくいっぱい飛んでる。ほら、ここ。ここ。ここ。天使さんは幸せを運んでるんだよ」

「へ〜。パパには天使さんは見えないな〜。でも、やっぱり何かしら見えているってことなのか〜」

 

 

でも、

「見える」

と、いうことを意識してしまったら、もう何も見えないのです。

「俺には見えるのかもしれない」

そう意識してしまうと、全く何も見えません。

 

 

ただ、

この時にわたしの意識が変わったのは確かでした。

 

 

無意識の状態で、見えたこと、感じたことは、だいたい当たっている。

それを否定するのではなくて、そのまま受け入れると、

少なくとも、

悪いことは起こらない。

 

 

 

 

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感以外の何かで感じることを、

第六感

と、いう言い方をしますが、

「わたしには第六感がないんです」

なんて思っている人は、

第六感がないのではなくて、

第六感で感じることを否定しているに過ぎないと思うんです。

 

第六感で一度は感じたことをしっかり意識できたはずなのに、

「ん?気のせいかな?」

「いや、そんなことはない」

「そんなはずないよね」

と、自分が経験して来た自分の中の常識と照らし合わせて、

そこに当てはまらなければ、なかったことにしようとしているだけなんじゃないかと。

 

それに対して、

子供は感じたことをそのまま受け入れるし、

そのまま口にします。

例えば、まだ小さな子供が、

「ママ〜!あそこに天使がいる〜」

って言いながら誰もいない場所を指差す。

それに対して親が、

「どこ?あそこ?何がいるの?」

「天使がたくさん飛んでる〜」

「天使?あそこ?」

「うん」

「え〜?いないよ〜。鳥か何かじゃない?」

「天使さんだよ〜

「いないよ〜」

「いるもん!」

「はいはい。わかったわかった。そうだね。いるね。じゃあ、あっち行こうか」

ママにそう言われたら子供は黙って付いてくるかもしれないけれど、

この時の子供が受ける傷は、実はかなり大きなものだと思う。

「私の見えているものは、間違いなんだ・・・・」

 

そうやって、自分の感じたことや感覚を疑うようになってしまい、

本当は見えているものでも見ないようになってしまうから。

 

だから、

親が理解できない子供の言動には、

何かしらの意味があり、子供が「ママ〜」

と、問いかけてきた言葉をわかったふりしてスルーすることだけは絶対にやってはいけないと。

私はそう思っておるのです。

 

子供の第六感を大人は否定しがちです。

 

でも、素直に第六感を当たり前のものとして受け入れている子供は、

悩みません。

 

大人に否定されると、そこから、

悩みというものが生まれてしまうのです。

 

わたしはそのことを、この時、教わったような気がしました。

 

 

 

それは、自分の子供の頃の経験からもそう思えるのです。

 

わたしは子供の頃から、

なんとなくではありますが、

「この人はいい人なんかじゃない。悪いことを考えている人だ」

とか、

「なんか悲しそうだな。いやなことがあるのかな」

とか、

妊娠に気づいてない女の人を見て、

「あ、この人のお腹の中には子供がいるんだ」

とか、

そういうことがなんとなくわかる子供でした。

そして、

「あの人のこと嫌い。だって、頭の中では悪いこと考えてるもん」

とか、

「病気かもしれないから、ちゃんと病院に行ったほうがいいよ」

とか、

「赤ちゃんができたの?」

とか、

感じたことをそのまま口にするような子供だったのです。

もちろん、子供なので説明できる根拠はありませんが、

それを感じたら、考える前に言葉に出てしまっているといったように、

気づいたら言葉に発していたのです。

その度に、父親から、

「そんなことあるか!」

「適当なことを口にするな!」

「お前はすぐそうやってどうでもいいことを口にする!喋るな!」

「思いこみで決めつけたらいかんぞ!」

とか、完全否定されるわけです。

教師である尊敬すべき父親からそう言われると、子供のわたしは、自分の頭はどこかおかしいに違いない。自分は変人なんだ。

そう思い始めるのです。

そして、感じたことや見えたものを否定し始める。

「見えちゃいけないんだ」

「なんで僕はこんなことを考えるんだろう・・・。ダメだダメだ」

「そう感じることはいけないことなんだ。思いこみでそう決めつけたらダメなんだ」

と。

第六感と思いこみは、今でこそ全然違うものだとわかりますが、子供にはわかりません。

だから、わたしは自分のことをずっと、

 

思い込みの強い人間だと思っていました。

 

でも、見えてしまうものは見えてしまうし、感じることは感じてしまう。

否定してもそれが強く主張してくる。

 

例えば、

幽霊が見えるか見えないか?

 

それで言えば、

18〜25くらいまでのわたしには、ものすごく見えていました。

もうそれは、はっきりと。いや、そんなはずはない。と、否定しようにも、

「わたしはここにちゃんといます。わかっているんでしょう?気づいているんでしょう?」

と、主張してくる。

 

寝ている時にボ〜ッととか、金縛りにあったとか、そういうレベルではないので、

こうなると否定しようにも否定できない。

 

わたしは記者という仕事柄、事件現場とか、夜中の街を出歩くことが多いのですが、

まあ、そういう素敵じゃない体験をたくさんしました。

 

それを否定していたら、逆に説明がつかなくなるので、

ある時から素直に受け入れるようにしたのです。

俺は見える人なんだ。と。

すると、霊的なものは何も見なくなってしまいました。

不思議なものです。

 

実は、奥さんも全く同じでした。

例えば、二人で車に乗っていて、毎度、同じ場所で赤信号に引っかかる。必ずそこで赤信号に引っかかるのです。

でも、わたしはどうしてもそこで赤信号に引っかかりたくないわけです。

理由はわかりませんが、なぜか胸騒ぎがするのです。

そして、ある時、また同じ赤信号に引っかかった時、奥さんがこう切り出しました。

「絶対、ここで赤信号に引っかかるよね。これ、絶対に私たちを停めようとしてるよね」

「それって良くない意味でだよね」

「うん。なんか呼ばれてる気がしてならない。本当は停まっちゃいけないのに」

それ以降、遠回りになってもその道を通るのをやめました。

そして、調べてみると、その信号のある交差点に面するパーキングには、かつてスナックがあり、そこのママが妊娠するたびに胎児をトイレに流していたという事件のあった現場だったのです。近所では、そこを通るたびに赤ん坊の泣き声がすると有名な場所でした。

こんなこともありました。

二人で山手線に乗っていて、秋葉原から御徒町に向かっていて、御徒町で停車しドアが閉まって発進。そして、奥さんが、

「ねえ。今目の前に座ってた女の人見た?なんかすごかったよね」

「・・・・」

「すごくなかった?髪がボサボサで顔が全部髪で隠れてて。なんかすごく気持ち悪かったんだけど」

「・・・・」

「ねえ?どうなの?」

「誰もいなかったよ」

「え?目の前に座っていた女の人だよ」

「誰もいなかったよ。誰も座ってなかったじゃん」

「は?いたじゃん。目の前に。ドアが開いたら立ち上がって出て行ったじゃん」

「いや。誰もいなかったよ」

「・・・・・・やだ〜」

 

そして、その数カ月後、また同じところを走っていた時です。

「あれ?」

奥さんが突然、席から立ち上がり、外を見ました。

「どうしたの?」

「なんで女の人が線路歩いてんの?」

「線路って?」

「反対側の線路。女の人が歩いてたよ」

「作業員の人?」

「普通の格好をした人」

「歩けるわけないでしょ」

「だって歩いてたんだもん」

「このスピードで走っている電車から目の前の線路を普通に歩いている人の姿が見えるわけがないと思わない?」

「え?じゃああの女の人はなに?」

「君に見えて欲しい人なんじゃない?」

「・・・・やだ〜。こないだの人かな〜。やだ〜」

奥さんはわたしと違って、

そういう人たちが普通に普通の人と同じように見えたりするので、

それがそういう世界の人たちだということに気づいていない場面が結構あったりします。

だから、最初から否定してなくて、その状況を素直に受け入れていたんですね。

 

ちょっと、話が長くなりましたので、続きはまた次回に。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。