プロフィール

2017年9月12日

 

記者。報道専門誌のフリー記者歴25年。

1995年の『阪神淡路大震災』『地下鉄サリン事件』などの大事件、大災害、スポーツ(特に野球)、芸能を中心に取材、執筆。著名人のインタビュー取材は500人を超える。

GCS認定コーチ。2016年9月認定資格取得。

2015年2月からブログ『レスキュー女子es』開設 https://rescue-joshies.com/

2016年2月から『心の冷えとり』をコンセプトに、コーチング開始。

女性のための心の冷えとりコーチング。女性のためのビジネスコンサル。

2017年9月からチキンハートなメンズのためのプロジェクト開始。

チキンハートのメンズ、キチンハートのメンズをパートナーにもつ女性のためのコーチング。

 

 

詳細

福岡県北九州市出身。明治大学商学部卒業後、大手不動産デベロッパーに就職するも、わずか1年半で退職。

ネクタイ、通勤ラッシュ、タイムカード、朝礼でのエイエイオー!の掛け声。月々のノルマ、日々の接待、先輩上司の命令は絶対。休日に催される会社のイベント(ゴルフ大会、スキー大会、サマーキャンプなど)。サービス残業(週に一度は帰宅できず自腹でカプセルホテル宿泊)。半期に一度のペースで行われた自己啓発セミナーを利用した社員教育。

これら全てが私には「無理!」でした。

今でこそ、

「なんじゃこりゃ?!」

なルールも中にはありますが、

この時代、こういった社内の暗黙のルールに従えない社員は「無能」の烙印を押されたのです。

私もその一人。

事実、私は無能でした。

 

子供の頃から気が弱く、泣き虫だった私は、そんな自分を変えたくて高校入学と同時に演劇部に入ります。

舞台に立ち、他人を演じ、弱い心を少しずつ変えていく努力をしました。

高3の時には部長を務め、県大会で優勝。

演劇部での3年間が私の「弱気」を大きく変えてくれました。

大学4年間もそこそこ名のある劇団に所属し座長も務めました。

そして、大手不動産デベロッパーに就職。

配属先は、もっとも厳しいと言われる地上げ部署で、新人150名の中で一人だけでした。

その理由は、「一番人当たりが良くてノリがいい」でした。

でも、人当たりやノリの良さは、“素”ではありません。

就職試験や入社前研修で、

「自分をよく見せたい」「できると思われたい」

その一心で、そんなキャラに扮していた“役者”の自分でした。

その結果、

1年半の会社員生活で得たものは、

自分への失望だけでした。

築き上げた自信の全てを失い、チキン、弱虫、怠け者の自分に戻ってしまいます。

最後は逃げるようにして会社を辞めました。

いくら演劇で鍛えたといっても、所詮、学生のお遊びだったのです。

社会は私の甘えを徹底的に叩きのめしました。

自分は「組織の一員」としてふさわしくない。「組織のルール」の中では生きていけない。

これはもう確信でした。

これからは一人でなんとかしなくては・・・・。

そう決意するも、当時の世の中はバブル崩壊の真っ只中。

 

 

はて?どうやって生きていくか?

 

 

生きていくためには、このチキンで弱虫な自分をなんとかしなくてはいけない。どうすれば・・・・?

 

 

そんな状態でも唯一、自分を認めることができるのは、

「演劇をやっていた自分」

「座長として劇団をまとめていた自分」

「演出をしていた自分」

「脚本を書いていた自分」

だけでした。

だからと言って、作家になる能力も度胸もありません。

 

じゃあ、何ができる?

 

そこでパッと頭に浮かんだのが、

子供の頃に描いていた夢の世界。

マスコミの世界だったのです。

 

私は早速、会社員時代に知り合った知人を通じて、ある出版社の編集部に潜り込ませてもらいました。

この時代、雑誌は飛ぶように売れていました。

私が入った編集部の雑誌も100万部を軽く超える部数を誇っていました。

だから、人が足りない。

編集長に挨拶に行っただけで、

「記者に必要な能力は何かわかる? 体力。君は大学の体育会の延長のような会社にいたんだから体力はあるな。じゃあ、今日から君は記者だから」

そう言われて初日に取材したのが、アメリカ人の技術者が英語で行うスピーチ講演でした。

私は英語が全く話せません。

講演でいただいたパンフレットも全て英語。

会場を埋め尽くす観客は全て企業の担当者で取材記者も専門誌のライターばかりでした。

何をして良いのかわからず、ただただ右往左往する私に同行していたカメラマンがこう言いました。

 

「わからないのは当たり前だよ。わからないから取材するんだから。わかる人に聞けばいいんだよ。英語がわからなかったら、英語がわかる人を捕まえて通訳してもらえばいいんだよ。簡単だろ?」

 

「原稿は、どう書けばいいんですか?」

 

「事実を書けばいいんだよ。お前の考えなんてどうでもいいの。大切なのは事実だから。あとはお前がその場で感じたことを書けばいい。必要なかったら編集者が削るさ。簡単だろ?」

 

もちろん、私の書いた原稿は没になり、

「もう一回、話を聞いてこい!」

編集長に怒鳴られて、再度主催者に頭を下げて話を聞かせてもらい、徹夜して原稿を書き直しました。

それでも、原稿は没。

散々たる船出です。

その日から1ヶ月丸々休みはなく、ほとんど睡眠時間も取れない状態で血尿を出して過労で一週間休みを取る事になります。

だからと言って、お叱りを受けることもありません。

フリーですから仕事がなければ収入が入らない。

代わりはいくらでもいる。

それだけのことです。

休んでいる間、考えていたことは、

「早く仕事がしたい」

でした。だって家賃も払えなくなりますから。

でも、

「仕事がしたい」

と、いう感覚がとても新鮮で、

「生きてる〜!!」

と、いう実感を心から得ることができました。

 

そこからは、ただただひたすら一途に現場を踏み、経験を積んでいくことだけの25年間を過ごしてきました。

 

サラリーマン時代は、休みが待ち遠しくて仕方なかったけれど、

フリーになってからは、「休み」という概念がなくなりました。

「明日の仕事の準備のためにあえて休みを取る」

「仕事がないので仕方なく休みになる」

「休みは収入がない」

だから、

「働いて結果を出したい」

 

わたしは、仕事がなくなることの恐怖を身をもって知っています。

2001年に脳腫瘍を患い、約1年間リハビリで記者の仕事を休んだ時は、

株を勉強し、サイドビジネスを勉強し、在宅で仕事をしていました。

今までの人生で、一番お金を稼いだのはその1年間でした。

皮肉なものですね。

チキンだから、

恐怖心が増せば増すほど、

アイデアも湧いてくるし、

パワーも出てくるし、

結果も出る。

 

気がつけば、フリーのまま25年間が経っていました。

 

今思うことは、

 

「俺はもうチキンじゃないのか?

いや、今でもチキンだよ。

いくら頑張っても、いくら装ってもチキンは治らない。

チキンはチキンだけど、そのおかげでここまでやってこれたよな〜」

 

その25年間の経験から得られた

コミュニケーション術

交渉術

処世術

 

をこのブログで皆様にお伝えしてまいります。

 

よろしくお願い申し上げます。

 

風宏

 

Posted by kazehiroshi